オクシタニア 宗教と魔物と戦う麗しさ。 2006/01/20 連載も第二回を迎えました「皇帝を誑かす方法」。 いま隣で働いている我らがコルティジャーナの縁の下の美女ことモモカちゃんが、「漫画のコーナーができて楽しみにしているんです★」となにやら大きく勘違いをしているようなので、ここは漫画のコーナーじゃありません!!カツを入れる意味も込めて、ここで骨太(?)の文学作品をご紹介してみたいと思います。うふふ。 わたくしが愛してやまない恐らく今日本で一番大好きな作家大先生佐藤賢一氏の「オクシタニア」、いってみましょー!! わたくし、もともと宗教好きというか、いやそういう危ない意味ではなくて、人間と宗教の関わり方というのに熱い興味を抱いているのですが、佐藤賢一氏は西洋歴史物語の作家でいらっしゃるので(最近は日本史も扱われているようですが)、当然これは宗教は宗教でもキリスト教の物語です。 特に異端として名高い(?)アルビジョワ派の物語。 佐藤賢一氏はこれまでも、「カルチェ・ラタン」や「王妃の離婚」という小説で、さんざんというかなんというか、キリスト教というものと人間と歴史について鋭いことを色々と欠かれているのですが、このオクシタニア、その中でもかなり骨太です。 フランスがまだ強大になっていない頃の、南仏がまだ「オクシタニア」という名前で半独立国家であった頃のお話。 キリスト教自体も、まだ「ローマ・カトリック教会」というものの確立が不十分で、オクシタニアにはその地で信仰されるカタリ派、といういうものがありました。 で、そのカタリ派なるものが後には異端であり悪魔の宗教アルビジョワ派として語り継がれていくことになるんですが・・ 宗教というのは果たして、魔物です。 人間は宗教を創造し、想像することなしには生きていくことが出来なかった。 死後の世界や「何故生きているのか」などなど、自然に沸いて出る疑問は、人間が「知性」というものを持ってしまった代償としてきっちり受け止めなければなりませんが、その疑問や恐怖を解決し、同時に「人間的なモラル」というものを作るうえでも、宗教による縛りというのは人間の歴史の中で、必要不可欠のものであったことでしょう。 だってさ、モラルも何も形成されていない時代、「いいことをすれば神様が守ってくれて天国へいける、悪いことをしたら地獄に落ちて永遠の苦痛にさいなまれる」という「質問」に対する「答え」ほど単純明快で心を晴らしてくれて、さらには社会においても役に立つものはないんだもの。死後の世界への恐怖がそのまま、社会生活における「善き行動」に摩り替わるわけですからね。 だから死後の世界がない宗教なんて基本的には存在しないし、現世というのは所詮借り物である、ということになるわけですよ、宗教というものは。神話の世界とかは別として。 もっといえば、神話的な古代宗教というのは、例えばギリシア神話にしろ日本神話にしろ、モラルというものへの考え方も、死後の世界の定義もなんとなく曖昧で、だからこそキリスト教や仏教といった、死後の世界と死後の救済がわかりやすい宗教に駆逐されてしまったってことよね。少なくてもわたくしはそう理解しているけど。 わたくしは個人的には、どんな宗教も信じていないのですが、同時に(わたくしが知っている限りで)全ての宗教を尊敬し、愛しているのですが、それはたぶん信仰心とはいわないと思うのよね・・文化的愛好、に近いと思う。 何故なら魔物として、権力や政治の道具になり、また宗教自体が権力と政治そのものであった歴史を丸ごと含めて愛好しているから。 「オクシタニア」で語られる「異端カタリ派」は、結局ローマ・カトリック教会に討ち果たされ、滅亡しますが、はっきり言ってその双方とも、冷静に考えれば狂信者の群れに過ぎません。 大体宗教戦争ということ自体が、常識的に考えれば常軌を逸してるわけですわ。 一体全体何処の神様が、他人を殺せ! なんて命令するというのかしら。 それは神様じゃないでしょー!! と、わたくしがそれを許される立場であれば説教ですよ、説教。。 しかし、繰り返しますが、宗教というのは魔物であり、甘美な麻薬。 はまってしまえば、それが全て。 人生を正当化してくれる甘い甘い罠。 宗教以外の一体何が、アナタに「本当の生きる意味・生きがい」というものを提示して、しかもそれを「絶対に間違いがないものだよ」と保障してくれるというのでしょうか。 だから人々は、それを信じる人の割合が大きければ大きいほど、集団催眠のように熱く深くその宗教に傾倒していくし、それを否定されるのは怖い。 違う宗派や宗教が、自分の信じるものと違うものを信じていた場合、「どっちが本当なの? 本当に私のやっていることはあっているの?」という疑問が生まれて、結果、その不安が相手を討ち果たそうとする暴力的な気持ちの原動力になるのでしょうねえ。 神様も罪なことをなさる。 で、「オクシタニア」がすばらしいのは、話しが単なる異端弾圧の宗教の歴史、ではなく、大いなる人間ドラマとしての軸をはずしていないところにあるのですわ。 結果として違う信仰を選択した若い新婚さんの悲劇の物語であり、同時に大いなる愛の賛歌とも言える、かも。 宗教とはなにか。人間とは何か。 そして宗教の強さと弱さ、人間の強さと弱さ、神への献身と愛する人への献身はどう違って、何が正しくて、そして一体何が幸せなのか。 もちろんだいぶ昔の歴史のことで、現代社会とは違う背景ながら、登場人物のリアルな存在感と性格描写、心理描写でいろんなことがわかるような気分になります。 豪勢な表紙の割には、割と地味なお話しで、きらびやかな宮廷物語は期待できませんし、かなり露骨な性描写もあって(というか佐藤賢一氏の性に対する描写と考え方というのは語りだすと長くなるので割愛。)拒絶する向きもあるかとは思いますが、わたくしは美女の教養の一つとして、キリスト教もしくは中世宗教の歴史と人間の物語として、読んでおいてソンはないと思いますわ。 |